お客様の大切なダイヤ、大切に買います
ダイヤモンドの基礎知識 歴史
ダイヤモンドの生成

ダイヤモンドは、はるか地下140~200kmの高圧、高温のマグマの中で結晶化することが分かっています。
これらのうち、地殻変動の影響を受けて地表近くに出てきたものが、
現在我々が手に入れることができるダイヤモンドです。
現在見つかっている最も古いダイヤは、なんと約45億年前に生成されたもの。
地球の誕生が約46億年前ですから、地球が生まれて間もない頃から生成されていると考えられます。

人類とダイヤモンドの出会い

人類が初めてダイヤモンドと出会ったのがいつなのか、正確には分かっていませんが、
紀元前にインドで発見されたと言われています。
以来長い間、インドの川床の砂礫の中から拾われてきました。
とはいえ、現在ほど宝石としての価値を認められていた訳ではありません。
カッティング技術がまだ発達していなかったこともあり、特別に美しいというものではなかったのです。

むしろ当時注目されたのは、その飛びぬけた硬さです。
紀元前、古代ヨーロッパのローマの文献に、鉄鋼を含めて硬いもの全体を表現したアダマス( Adamas )という
物質の一種として、インドから渡ったダイヤモンドが紹介されています。
この説明の中にアダマスは、「征服し得ない力」を意味するギリシャ語に由来することが述べられています。
この Adamas が変形して Diamasを経て Diamant へ。これがダイヤモンドの語源になっています。

硬い、透明な石 ダイヤモンド

ダイヤモンドのカットや研磨の方法を知らなかったローマ時代の人々にとって、
ダイヤの価値は、その「硬い」という性質や、正八面体の結晶という珍しさ、はるか遠くのインドから渡ったこと
(風に乗って伝えられたという伝説もありました)などが様々に織り混ざった、神秘的、呪術的なものであり、
病気や天災から身を守る護身符や魔よけとして人々の間で広まりました。
また、キリスト教の時代になると、そうした価値感もただの迷信として排除されました。
それ以来、カットの方法が確立して、その美しさが理解されるようになるまでの十数世紀にわたり、
ダイヤは宝石の中でも低い扱いしか受けてきませんでした。
ルネサンス後期の著名な金細工師ベンヴェヌート・チェリーニは、ダイヤをルビーやエメラルドより価値が低く、
価格もルビーの八分の一以下と決めています。

ダイヤモンドの研磨方法の確立

宝石としての価値の低い「硬い透明な石」ダイヤモンドでしたが、15世紀のヨーロッパでダイヤの研磨方法が
確立されます。
ダイヤ同士でこすり合わせる、ダイヤの粉末を付けた皮でこするという方法です。
これは、現在のオランダのベルケムという宝石職人が考案したと言い伝えられています。

1456年、現在のオランダにベルケムという腕のいい宝石職人がいました。
彼はとても貧しく、また、足の不自由な青年でした。
しかし、彼は自分が働く工房主のお嬢様に恋をしてしまいます。
身分を考えるととても分不相応な恋だったのですが、ある日、意を決して工房主に彼女との結婚を願い出ます。

彼の気持ちに心動かされた工房主でしたが、彼の境遇を考えると、娘を嫁がせるのには不安がありました。
しかし、自分の工房の腕のいい職人である彼の想いを無碍に断るという訳にもいかず、
上手に諦めてもらうために到底無理と思われる条件を出しました。
「もしもダイヤモンドを磨くことが出来たら娘をやろう」と。
熱にも酸にも強く、何よりも硬い。ダイヤモンドを磨く事は、当時誰にもできなかったのです。

彼は愛する彼女と一緒になるために、日々必死に考えました。
そしてとうとう、答えを見出します。
「何よりも硬い鉱物は、何よりも硬い鉱物で磨けばいい」

そして彼は晴れて彼女を妻に迎えることができました。
また、硬い透明な石でしかなかったダイヤモンドも、磨くことで輝きを放ち、
世界で最も美しい宝石となっていったのです。
ラウンド・ブリリアントカット

ルネッサンス時代のヨーロッパ、華々しく美しいジュエリーが装飾用として貴族など一部の
特権階級の間で活躍し始める中、ダイヤモンドはいまだ脇役に過ぎませんでした。
真珠やエメラルド、ルビー、サファイアなどが貴族達のファッションの中心だったようです。

しかし、研磨方法が確立されたことにより、
ダイヤモンドは様々なカットが施され、
次第にその宝石としての地位を高めていきます。
16世紀には「ローズカット」、17世紀には「ブリオレットカット」の
施されたダイヤを使ったジュエリーが見られます。

そして、1700年頃、ダイヤモンドのもつ輝きを最大限に
引き出すカット、「ラウンドブリリアントカット」が
ベネチアのビンセント・ペルッチによって開発されました。
光と明るさ、飽きのこない色合い、そして優雅な曲線美の
デザインが志向されてきたことを背景に
ダイヤはジュエリーの主役に躍り出たのです。
大鉱脈の発見、ダイヤモンド供給の拡大

ダイヤモンドは長らくインドでしか産出されませんでした。(ダイヤのことをインド石と言うほどです)
しかし、1730年代にブラジルでダイヤが発見されます。インド以外で初めてのダイヤの産地でした。
それまで細々とインドから供給されていた量に比べ、ブラジルからの供給は莫大な量でした。
これを契機に欧州各地、特にアムステルダム、アントワープなどの町にダイヤモンド加工工場が設立されます。
手工業から産業へ。そして、これらの貿易、加工、販売のすべてがユダヤ人の手によってなされてきました。

古代より、ヨーロッパとアジアの交易路の重要な中継地点として、パレスチナ(イスラエル)がありました。
そのパレスチナに古代住んでいたのがユダヤ人です。
ユダヤ人はローマ帝国への反乱に失敗し、弾圧されてヨーロッパを中心とした各地に散っていきましたが、
そこでもまた迫害を受けます。
土地の所有を禁じられ、しばしば追放処分にあって住居も安定しない、そして商人としての才覚を持つ彼らが
頼ったのが、「持ち運ぶことが容易で、どこでも高く価値を認められるもの」である宝石でした。

アムステルダムやアントワープがダイヤ産業の中心となったのも、
当時、この地方に宗教的な自由が比較的認められ、ユダヤ人が多く住んでいたことと関係しています。

1860年代には早くもブラジル産のダイヤモンドは枯渇していき、ダイヤ産業は危機を迎えますが、
1866年、南アフリカで世界最大級のダイヤ鉱脈が発見されます。次々と大鉱山が発見され、供給量も増大。
人もどんどん集まり、ダイヤラッシュともいうべき現象が起きます。

デ・ビアス社の独占とコントロール

後にイギリス首相まで勤めることとなる、セシル・ローズはこの南アフリカのダイヤラッシュで財を成した男でした。
彼はユダヤ系財閥ロスチャイルドの融資をうけて、デ・ビアス社を設立。
キンバリーのほぼ全てのダイアモンド鉱山をその支配下に置き、全世界のダイアモンド生産額のなんと9割を
独占したのです。

その後新たな鉱山の発見などもあり、デ・ビアス社のダイヤ生産額は、全世界の約4割まで落ち込むことに
なりましたが、1930にデ・ビアス社の会長になったドイツ系ユダヤ人オッペンハイマーは、生産のみならず
流通、販売にも進出、ダイヤモンド業界を牛耳る巨大なカルテルを生みだすこととなりました。

1970~80年代には、ダイヤモンド業界に進出してきたイスラエルとの対立による価格の暴落もありましたが、
世界のダイヤ生産量第一位になったロシアも、そのやり方を利用するなど、
現在でもデ・ビアス社は、ダイヤの生産量、価格をコントロールし、価値を維持し続けています。

作られるダイヤモンド

20世紀、人類はダイヤモンドを作りだすことに成功しました。以前から、ダイヤを真似した模造品はありましたが、
そうではなく、本物のダイヤを作りだしたのです。
当初はごく小さいものしかできず、コストも天然ダイヤよりもはるかに高くつくものでしたが、
技術の進歩により、本物より安く、安定した品質のものを製造できるようになりました。
これらの人工ダイヤはすべて工業用にまわされていて、工業用ダイヤの半数が人工ダイヤとなっています。

まだ現在は、設備投資、コストの問題から、宝石として使えるような大きな人工ダイヤモンドが流通するということは
ありませんが、いつの日か宝石用の人工ダイヤがジュエリーショップに並ぶ日が来るかもしれません。